不幸と改善、間のズレ

無学は改善されるべき状態だろうか?

今の社会では、貧しい地域に学校を作ったり、奨学金制度を用意したりと、質の高い教育を全ての人に授けよう、という系統の熱心な活動がそこかしこで日常的に行われている。もちろん僕はそういう活動をいいことだと思うし、自分自身もそれなりにお世話になってきた。だからそうした活動を支えている・そして支えてきたすべての人たちに、感謝と尊敬の念を表したい。

しかしながら同時に「バカは幸せだ」「知らぬが仏」といった慣用句もなぜか僕達は持っている。じっさいのところ小学校を出たか出ないかという経歴がデフォルトであるような貧しいまたは未開発な地域では、人々はかなりリアルで濃密な、満ちた日常を送っているように思う。

もちろんこれは部外者である僕がそうした場にいる時に、そういう風に感じる、というだけで、実際に彼・彼女らがどういった内的な心的生活をもってそうした日常を送っているのかはよくは分らない。

で、何がいいたいかと言うと、ここには一つのズレがあるのではないか、と。つまり

「幸せ」と「不幸せ」を両端に持つひとつの軸と、

そして「改善されるべき状態」と「改善する余地のない理想的な状態」を両極に持つもうひとつの軸の間には、

ズレがある(すなわち角度があるだろう)、と。

とりあえずここまで。続き(あれば)そのうちに。