束縛条件の強さ

ユートピアの製作を最適化問題の一種と捉えるために、束縛条件について少し考える。
とはいえ束縛条件を記述するにも、その記述の仕方自体に世界の捉え方の影響が大きく入ってくるのだが、まあとりあえずそういうややこしい問題はおいておく。
(こういう問題の例を挙げるなら、たとえば決定論が真だとしたら、全ては決定されている。つまり最適化に際して変数になりうるような自由度は何もない、といった話など)

で、考えるための便宜として、束縛のレベルを2つに分ける。

自然法

ニつのレベルの外側は自然法則だ。たとえば環境問題やエネルギー問題といった問題は、基本的に物理学の世界で発見されたエネルギー保存則とエントロピー増大の法則を束縛条件として課した上での一種の最適化問題である。このように自然法則は、現実上の最適化問題において、一番外側から可能性を規定する。これは僕達が、どんなタイプの可能世界でもなく、まさにこの宇宙にいる、ということに対応する。これをいじることは、原理的に不可能。

脳構造

人間が生まれながらにして持ってる脳構造による束縛。感情をもつこと、思考速度・情報処理能力にある一定の限界があること、多数の認知上のバイアスをもつこと、など。こうした脳の基本スペックは生物学的なレベルですでに決定されている(例えば人間がどれだけ必死に訓練しても、数値計算でコンピューターのパフォーマンスを超えることはできない。)。これは明確なひとつの限界であり、非常に重要な束縛条件のひとつである。これは僕達がハエでもネコでもクジラでもなく、まさに人間である、ということに対応する。これをいじることは、原理的には可能。

残る自由度

以上の二つの束縛条件が課された後に残るのは、文化や学習の領域である。現在の世の中をよくするぞ、という方向の活動は、当然ながらそのほぼすべてがこの領域の自由度の操作にそそがれている。