何ができて、何ができないのか

政治に、行政に、何ができるのか、そして何ができないのか。それさえ誰も分からないまま、政治的な要求が行われ、理想が語られ、そしてそこへ膨大な労力が投入される。
しかしながらシステムにはある入力で制御可能な範囲がある。たとえばの話だが、この先どの党が日本の政権党になろうと、世界から絶対に痴話喧嘩はなくならないだろう(「あなた、私とあの娘とどっちが大事なの」「おまえに決まってるだろう。」「ウソ、目が本当じゃない。本当なら愛してるって言ってよ」「愛してる。うん、愛してる」「何それ、適当すぎる。もうわたし朝ごはん作らない」「おいおい。俺にはお前以外考えられ(以下続く...)。
政治にいったい何ができて、そして何ができないのか、それを把握しようとしていくことはとても大切なことではなかろうか。
ファインマンはかつて次のようなことを言った(うろ覚え)。

自然法則、その素晴らしい所は、何ができるかを教えてくれる、ということではなく、何ができないかを教えてくれることだ。」

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