どれだけの物理理論が可能か


ガリレイそしてニュートン以来、物理学は方程式を用いて、観測される様々な現象の予測と説明を行ってきた。理論から出てくる予想が、実際の観測結果と合うなら、その理論は「真である」または控えめに言えば「使える」とされる。様々な理論が生まれては消えていっているが、しかし同値の予測を与えるような物理理論のレパートリというのは、一体どれぐらいあるものなのだろうか。

一般にオッカムの剃刀や思考経済の原理や単純さや美しさといった指針のもとである理論、ある定式化が選択されるが、それらを無視してみるなら、どれだけの可能な物理学の理論があるのだろうか。

例えば明日の日の出の時間を問うた時に、その正確な時刻を返せるような物理理論はいったいどれぐらいありうるだろうか?

この問題は同一の入力に対しある物理理論と等価な出力を返すプログラムはどれぐらいあるか、という問題と同じだろう(多分)。プログラムなら同一の入力に対して等価な出力を出すコードは無限に生み出せる。例えば、コードの途中で、何らかの実数型の変数xに対して、1足してから1引くという操作(つまり元通り)、これをAddSub(x)とかくなら、コード内のお好みの場所に満足するまでAddSub(x)を挿入できる(もちろん実際の物理理論は、人間の平均的な寿命の長さに対して十分短い時間内で出力を返してくれるものでないと、実用性はない)。

今書いたAddSub(x)のような単に無駄に長いだけのレパートリはあまり面白くないが、同一の予想を与える全く異質のパラダイム、この数について何かが言えればおもしろいと思う。

理論物理学者はそうした自由度の中から理論を一通りに決めてくれるような何らかの説得力ある原理を求めるだろうが、そうした原理までをも含めた全体での可能な物理理論の個数、そこまで含めて考えることが出来るようになったら、更におもしろいと思う。