究極の問い



「なぜ世界は在るのか」

なぜ「何もない」ではなく「何かが在る」のか。
世界の創造・・・ビッグバン・・・
そんなものなかったとしても、つまり世界が本当に何一つなかったのだとしても、理屈としては、別に問題ない。

この問題は、子供達が問い、宗教家達が問い、理論物理学者達が問い、哲学者たちが問い続けてきた愚問・難問だ。

宗教家は「それは神による」といい
物理学者は「統一理論の方程式が持つ一意な表現の中にその答えがあるだろう」などといい
そして哲学者は「『世界がある』というとき、その言明は一体どういう意味を持ちうるのか」などという。

これは本当に馬鹿げた問いだ。
でも同時に(ひょっとするとそれ故にこそ)、おもしろい。

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