哲学的問い

哲学的問いの特徴として哲学者の Colin McGinn は以下の点を挙げている。
1.解決されない
2.進歩が見られない

心身問題にしたって、未だにデカルトの時代以来続く延長性の問題(物質は空間の中で特定の位置を占めてるのに意識はそうではないという問題)と相互作用の問題(物質と意識というこれほど違うものが、一体どう関わっているるのかという問題)についてさえ、万人が満足する答えを出せてない。
この事実は、ある意味とても面白い。

McGinnはこの事実の説明として、私達人間の認知能力の限界を挙げる。私達の体にはその構造から言って、どれだけ頑張っても実現できないことがあるが(例えば月までジャンプするとか)、これと同じように私達の脳の構造にはどれだけ頑張っても理解できない問いがあるとする。そして哲学的問題はそういう種類の問いだとする。つまり私達人間の認知能力の外にある問いだと。

McGinnはこれは正しいかどうか証明できない仮説だとする。しかしもし百万年たって、哲学者たちが今現在と同じように解決されない哲学的問いを発しているのを見たら、人々は私の仮説が正しかったと確信するだろう、と言う(そりゃそうだ)。
そして最後にこう締める。それでもこうした哲学的問いへの答えを得たいと望むならば、人は悪魔的選択に晒されることになる、と。つまりこうした問いへの答えを得るためには、そのままの意味で、人は人間であることをやめざるをえない、と(つまりポストヒューマンの領域に足を踏み入れる事になる、と言っている)。

Problems in Philosophy: The Limits of Inquiry

Problems in Philosophy: The Limits of Inquiry

感想

すべてを知りうる、という方が難しい主張だから、ある面は正しいだろう。しかし人間の認知構造だけでなく、世界の構造と絡めて論じてほしかった。とはいえしかし脳についての知見と関わって一種の不可知論が出てくるというのは、ある意味当然の流れなのかとは思う。仕様・スペックが分れば限界が分る、と。

関連リンク

可聴音の比喩で可思考領域というか - finalventの日記 2008年10月25日
こちらのブログでは可聴音という言葉から、可思考領域という言葉を作っている。つまり人間に思考可能(理解可能)な物事の範囲、といった意味の言葉だ。古い言葉でいうなら、不可思議ではない範囲のこと、とも言えるだろう。「語りえぬこと」の次は「思考しえぬこと」が徐々に出てくるのかもしれない。面白い言葉だと思う。