精神が病む?


精神を病んでいる。精神に障害を追っている、みたいな言葉が普通に使われるが、このレベルの議論は本当は完全に相対主義的な色彩に染められる。

一般に病的であるかどうかの目安は、社会に適応できてきるかどうか、に合わせられているが、適応すべき社会の方は、人口比に依存した多数決でルールなり風習なりが作られている。例えばちょっと例を考えて見ればわかるが、今のこの現代の社会で統合失調と呼ばれるような状態にある人間が多数派(例えば人口比99.9%)を占めているような仮想の国Xを考えて見よう。そうした国では、人はすぐ妄想を持つものだという前提の上で社会の様々な側面が構成されていくだろう。文化・風習・儀礼・価値・法律・社会制度等は、そのすべてがそうした統合失調状態を人間の基本的性質のひとつとして、自明の前提として組み入れた上で構築されていくだろう。だから当然、現代の社会で統合失調と呼ばれるような状態にある人々は、その国で「普通に」暮らしていける。しかし現代の社会で「正常」とされている人がその国に闖入したらどうなるか?おそらくうまくはやっていけないだろう。「あいつはおかしい。異常だ。こんな常識的なルールも守れない。」などと色々言われることになるだろう。

要は精神に関する「病」は、そのほとんどが基本的に多数決で決まっているということだ。数が少ない方、つまりマイノリティが「病人」なのだ。

続きのエントリー

頻度依存の不適応 2008年05月09日