論理はニューロンではなく関係性

こちらのブログで面白い文章がありました。早速飛びつきます。
アプリオリな総合命題としてのグリッド細胞 - 生物を数理的に考える
以下、kannkeisyoruiさんの文章。

脳の中に「論理ニューロン」はおそらくありません。
なぜなら、論理は、モノや対象でなく、その関係だからです。
関係性は、要素として存在するのではなく、脳の中でも同様に、関係性として存在します。
論理は、それが必然的にそのように処理されるように、我々の脳の中にあるはずです。
そして、この論理は、地球という球体の表面にへばりついているだけの個体が、単に進化という近似的な最適化アルゴリズムによって得られたものにも関わらず、普遍的であるように感じられます。
これは、おそらく、我々の信念体系の最も根幹な部分が、証明によって示された真理でなく、単に反例が今のところないだけの命題に依存しているためです。

これは脳内での空間の表象システムについての次の論文
Moser, E.I., Kropff, E. and Moser, M.-B. "Place cells, grid cells and the brain’s spatial representation system" Annual Reviews of Neuroscience, 2008. 31:69–89
の読後に書かれた一文です。
ここでいう論理というのが数理論理学で扱われているような演繹的な論理だけを指してるのか、またはヒューリスティクスといったものまで含めて考えているのか、そこはよく分からないのですが(多分両方だと思います)、こうした論理は「論理ニューロン」という形でなく、脳の中で「関係性」として実装されてるだろう、ということのようです。

( ゜∀゜)=3 ムッハー! おもしろい!

仮にそうやって論理が関係性によって担保されていたとして、そうした論理のうちいったいどこまでが私達人間特有の進化的結果の産物で、そしてどこからがこの宇宙の構造にしばられたものなのでしょうか、僕はそこらへんに興味を持ちます(参照前エントリー「論理の神経基盤は? 2008年05月07日」)。
つまりこの世界の中で私達の脳が実現しうる関係性(脳の構造)のレパートリーについて考えると、その一番外側の部分というのはこの世界の持つ時間的空間的構造に縛られているはずです。だとしたら逆に違った時間的空間的構造を持つ宇宙であれば、また違った論理があるのだろうか、と。

たとえば空間に関して二次元の自由度しか持たない「平面世界」(Flatland)の住人たちは、僕達と同じだけの推論能力や論理学を持ち得るでしょうか。

下のビデオは平面世界を紹介した5分間のアニメーションですが、こうした二次元世界(脳内で神経回路を立体的に交差させられないような世界)の住民は、私達と同じだけの推論能力をもつことは出来るのでしょうか?

こうした問題は僕にとっては難しく、ハッキリした結果はだせそうにないのですが、しかし考えるだすと、おもしろい問題です。

関連リンク

義務教育で習うのとは違う、拡張的・代替的な論理学。

非古典論理 - Wikipedia

心理学や生物学の観点から認識論を捉えなおしていく哲学の営み。

自然化された認識論 - Stanford Encyclopedia of Philosophy
進化論的認識論 - Stanford Encyclopedia of Philosophy

どんな次元数の宇宙がありうるか、という議論。

時空の次元数について - 宇宙とブラックホールについてのQ&A このブログで下の論文について解説されています。
Max Tegmark "On the dimensionality of spacetime" 1997 Class. Quantum Grav. 14 L69-L75

上で出てきた論文の著者であるMoser(夫妻?)らによるグリッド細胞についての解説。

Grid cells - Scholarpedia