イデア界の構造はどんなだ(妄想)

数学の分野の概念でイデア界という概念があります。正しくは数学分野の概念というより、数学的な概念の存在論に対してプラトニズムと呼ばれる立場を取る人々が心の中に抱いている、理念的なものだけからなる仮想の世界のことです。プラトニズムの立場を取る数学者たちは、イデア界の構造をこの現象世界・物理世界の中で見つけ出す、という形で自分の仕事を捉えていることが多いです。つまり人間が様々な数学的概念、例えばゼロや微分、などを発見しなくても、その前からずっとイデア界にそういう概念の対応物はあったんだ、という風に。

このエントリーではとりあえずそういう世界(イデア界)が実際に「ある」と仮定して話を進めます(なぜそう仮定するかは当エントリーのテーマとはまた別の問題だと思いまするので省きますが、一応簡単に書いておくと、世界が微分方程式を用いて記述できること、つまり理論物理学が成立する為にはそれなりの背景状況が必要だ、と思うからです)。このエントリーで問題にしたいのは、次の問題です。
つまり、仮にそういう世界があったとしても、
実際のイデア界の構造というのは、現在の僕達が持っている数学の構造とは大分と違ったものになっているだろう、
、という問題です。なぜそう思うのか?
以下、僕がそう考える理由を二つにわけて説明します。

1.数学における基礎的概念がとても人間的

現在の教育プログラムは、自然数に関する話は初級で、そこからより抽象化していくにつれ高等になっていく、という風に組まれている。しかしこの意味での初等、高等というのは、単に人間という生物の持つ理解容易性の観点からの序列化にすぎない。

ここでいう理解容易性というのは、人間にとってどういう概念を理解しやすいか、という問題のことだ。この問題は、実のところかなりの程度SOM(自己組織化マップ、コホーネンネットワーク)のような構造で代替的に表現される、神経ネットワークが持つ構造的な性質に大きく依存しているはずだ。つまり脳が持つ所与の構造によって、どういった概念が理解しやすい概念なのか、という点は既に大きく絞り込まれてしまっている、ということだ。

たとえば「自然数」や「集合」といった概念は数学においてかなり基礎的なものとして扱われているが、しかしその理由というのは「これらの概念がイデア界の基本的な構築物であるはずだから」というものではなく、むしろ単に「人間の持つ認知上の枠組みの中で、これらの概念がかなり基礎的な部分に位置する概念だから」というだけなのが実際だろう。つまりこうした人間にとって理解しやすい初等的な概念だからという理由だけで、それがイデア界においても基礎的な概念だと考えてしまうのは、あまりに人間中心的主義的な楽観論だ、ということだ。

2.証明距離が反直感的

また現在の人間の数学では、一見簡単に見える予想の証明に、時に驚くほどの長いステップ数を要する。例えばフェルマーの定理とか。これはどことなく直感に反する。

このことを確認するために、様々な定理が持つ、「公理からの証明距離」「証明ステップ数」といった感じの量で規定される関係的な位置というのを、グラフ構造でもって表して見たらどうなるだろうか(このグラフを証明マップと呼ぼう)。恐らくそれはとても歪なものになるんではないだろうか。


そこで逆に、ある範囲の定理全体を証明するのに要する証明ステップ数の合計という量を(または証明マップの持つ構造の対称性などを)考えて、それが最小になるような(または何らかの対称性を持つことになるような)基礎概念の選び方、これを実験的に探して見たらどうなるだろうか。これは結構おもしろい実験だと思う。
仮にこういう試みがうまくいくなら、そこからは一体どんな概念、またどんな公理(そしてどんな論理)が、ある条件のもとでの強い<基底>として出てくるだろうか(ひょっとするとそれは人間にとってはかなり病的な概念かもしれない)。しかしもしこうした試みから何かの概念が出てきたら、それはイデア界(そういうものがあるとして)、の基礎的な構造へより肉薄した何かとなり得るだろうと思う。

関連リンク

自己組織化マップ(Self-Organizing Maps)の基礎
 自己組織化マップの基本事項の解説

自己組織化マップの基本原理
 自己組織化マップの応用に焦点をあわせた解説

"Platonism in Metaphysics" Stanford Encyclopedia of Philosophy
 哲学的観点からプラトニズムについての解説

数学は「発見」?それとも「発明」? - スラッシュ・ドット・ジャパン
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